ちょっと詳しいプロフィール (プライベート編)

幼少期を日光で過ごした時期がありますが、基本的に東京生まれ、東京育ちです。


小学校から高校までは、雙葉学園という女子校で過ごしました。
当時、母親はピアノの道に私を進めたかったようです。
3歳のときに「ピアノを習いたい」と言ってしまった(らしい)のが、私の不幸の始まりで、
物心についたときには、1日3~4時間の練習は私の義務となっていました。


勉強については何も言われなかったので、学校の成績は中の下。
試験前も、ピアノさえ弾けば、勉強をしなくても何も言われないという生活でした。
「ピアノがなかったら、勉強して、成績も良くなるのに・・」と子供心に思ったりしました。
(実際は、ピアノをやめても勉強をしたわけではありませんでしたが。。)


高校2年のときに、バスケットボールで指を骨折したのを機に、
ピアノの先生に「やめます」と宣言。
母には叱られたし、がっかりさせましたが、あのとき、勇気を持ってよかったと思っています。
何しろ、才能もなかったし、好きでもなかったので。


ただ、今になって思うと、この「毎日3~4時間」のピアノの練習のおかげで、
ちょっとばかり、根性が養われたような気がします。
ちょっとやそっとのことでは、あまり「大変」だと思わなくなりました。



じきに高校3年生になりました。
本来、私は数学や理科のほうが得意で、誰もが理系だと思っていたようですが、
将来、研究所に勤務して地味な生活を送るのが嫌で、文系を選択しました。
(恥ずかしいですが、仲の良い友達が皆文系で、同じクラスになりたかったのもあります。)




2009年4月10日 20:36このブログについてトラックバック(0)

大学3~4年のときに、スキーにはまりました。
夏はアルバイトに精を出し、
冬は、スキー学校(これまた厳しくて有名なところでしたが)で、指導者養成コースなるものを受けて、
ずっと山で過ごしました。
吹雪の日には、リフトが止まっているので、スキー板を1本だけかついで斜面をのぼり、
片足滑走の練習をさせられたのが印象に残っています。
足の小指は凍傷になりかかりましたが、卒業式以外は、入社前日まで山から降りてきませんでした。


日本郵船では、スキーのオフトレのつもりではじめたボートにはまりました。
仕事の後、戸田の艇庫に泊まって、朝4時から練習。
会社で身体を休める(?)という毎日でした。
どうも、ド根性系のスポーツが好きなようです。



大学を出て、まもなく結婚しました。
長男が生まれる時には、仕事を一時中断して「充電期」にするくらいのつもりでしたが、
予想外でした。
何しろ、かわいい。しかも、全身全霊で求めてくれる。。


夫のアメリカ留学に子連れででかけ、たっぷり一緒に過ごすうちに、
次男が生まれ、気づけば子育てにどっぷりつかっていました。


ワイアットに就職してからは、子育てとの間であれこれと困難もありましたが、
何とか乗り切ることができました。


今は、子育てもほぼ終わりかけ、大人になりかけた彼らとのやり取りを楽しんでいます。


彼らとの日常のハプニングについても、思い出話を織り交ぜながら、
ご紹介していこうと思っています。



ここ数年の私は、プライベート面では、ジム通いが多くを占めています。

ジム通いが始まったのは、ワイアット勤務の中ごろです。
ド根性系のスポーツが好きなのは、学生時代からかわらないようで、
毎週土曜日にジムに行っては、13時から20時の7時間を過ごし、
スタジオプログラム5本に参加していました。


独立後は、仕事の時間帯が極めて自由なので、時間を見つけてはジムに行ったり、
関西出張中には、ジムの入っているホテルに泊まったりして、ひたすら汗を流しています。




トラックバック(0)

トラックバックURL:

http://blog.com-fact.com/mt-tb.cgi/10